Vol.21 失敗してもあきらめず
私の訓練士としての研修は栃木県で3年、京都府で2年続きました。栃木では研修を初めて3ヵ月後、犬の訓練をするようになりましたが、新米なので雑用をすべて任され、時間に追われる毎日でした。

約40頭いた犬の餌はすべて手作りでした。先輩が訓練に出た後、豚の軟骨を大きな鍋でゆで、食べやすい大きさに切っておきます。犬の部屋には、新聞を細かく切って敷き詰めなければなりません。作業を早く終わらせないと自分の犬の訓練が遅れるので、いつも必死でした。
おかげで、週1日の休みは寝てばかり。慣れない土地で暮らす気疲れもあり、夜になって「明日も休みたいな」と思うこともありましたが、そんなときに頭に浮かぶのは九州から来る訓練生の姿でした。
福岡に盲導犬協会ができたのは1983年。訓練センターは、私の研修が終わるのを待って1987年に開所しましたが、それまで九州の人たちは、栃木や京都の訓練センターに足を運ばなければなりませんでした。私が研修を受けている間にも訓練生が来られていましたが、当時50代だった女性のことを、今もよく覚えています。
この女性は、まず栃木で共同訓練を受けました。しかし、外出するときはいつも家族に誘導してもらっていたので、1人で出歩くのに慣れていませんでした。2週間後「盲導犬との歩行は困難」と判断され、泣きながら福岡に戻りましたが、2年後に京都で再チャレンジ、そうしてアネモネとの生活を始めたのでした。
彼女は栃木から戻った後、ボランティアの協力を得て、単独で白杖を使用して街を歩く訓練を続けたそうです。1度失敗してもあきらめずに努力を続けたという話を聞き、私は涙がこぼれそうになりました。
訓練を受けるには交通費など、かなりの出費が必要。周囲の期待から、プレッシャーも大きかったようです。視覚障害があるため、遠い土地に出向くのが不安で、訓練を断念した人もいたでしょう。そんな人たちの役に立ちたいという思いが、研修中の支えでした。
(福岡盲導犬協会訓練センター元所長 桜井昭生)
※文中の人名、犬の名前は個人情報への配慮のため仮名とさせていただいています。